20190603 大砂雅子

「わたし、定時で帰ります」-ロールモデルにはなれない-

 

 

 

「そんなスーパーウーマンになりたくない私は、適度にさぼり、適度に逃げて生きてきたかもしれません」と前回の最後に書きましたが、これを読むと一番付き合いたくない女性の同僚と思われるかもしれません。仕事のいいとこ取りをして、あとは部下か同僚に丸投げして帰る人が思い浮かびませんか?

 

保育園の閉園ギリギリに行くと、二人の子供は、コートを着せられ、通園バッグをかけて、保母さんと玄関で待っていました。「ああ、保母さんにも家庭があるのだ」と思ったものです。二人目の出産直後に上司から「仕事と家庭のどちらを取るの?」と、大した仕事も任せていない私に、専業主婦の妻が夫を詰問するような質問をされたこともありました。私は「両方です」と応えました。開いた口が塞がらない人がそこにいました。

 

その後ナンチャッテ総合職になってしまったのですが、5時の退社までにフルスピードで仕事をこなし、ついでにもし翌日子供が熱でも出したらと、明日すべき仕事の段取りをして、同僚や派遣職員の方が対応できるように体制を整える必要もありました。そして私の仕事の半分は後輩や部下の仕事を覗き込むことでした。私が人より作業効率が高いわけではないので、若い方々がムダのない仕事ができるように、優先順位と作業方法や内外との調整方法を確認するのです。そして上司には「なぜ?」「〇〇△△した方がいいですよ」などの連発。男性上司からすると「やっておけ!」で終わる男性部下の方がずっと気楽だったことでしょう。そして5時には帰ってしまう私に、上司の何人かは「残業しないから、いざというときに役に立たない」とのレッテルを貼っていたことでしょう。いざというときは滅多になかったと記憶していますが。

 

学歴のことも少し。大学では、文学部で西洋史を専攻しました。下の子供が3歳の時、職場の研修に応募し、1年間、英語で学ぶ「開発経済学」のコースを履修しました。同期はメガバンクやゼネコン、コンサルタントの優秀な男性たちでした。ついていくのがやっとの私は彼らのおかげで何とか修了証をいただきました。

 

さらにシンガポールから帰国後に、1年間夜間の社会人大学院に入学し、政治経済を学び直しました。仕事をしながら、1年で修士論文を書き上げるのはかなりタフなことでした。2度倒れました。過労により三半規管が異常となり、起き上がろうとしてベッドに倒れこむ症状です。しかしながら修士号取得直後に、外郭団体に出向の身となりました。5時退勤の上に有給を目一杯取得したのがいけなかったのでしょうか。ただ大学院の方は、私の勤務先と連携協定を結び、数年に渡り、正式な研修先として、後輩たちは就業なしで学費は勤務先負担の特典を得ることになりました。

 

私が男性だったなら、こんな騒ぎはなかったと思います。今や後輩たちは女性というハンデを感じることなく、活躍しています。「あんなおばさんでも昇進できる」という意味ではロールモデルもどきだったかもしれませんが、自分の人生は自分がしてきたことの結果なのかもしれません。

 

続きは次回~

 

 

 

大砂雅子