20200601 熊井泰明・大砂雅子

 

ニューノーマル(新常態)5 家族は「個人の集合体」のはず

 

 

 

 このコロナ騒ぎの前に、若い女性から「結婚してもいいけど、相手の家族の一員にはなりたくない」とよく聞きました。改めて、「個人としての自由」と「家族」を考えさせられた方が多いのではないでしょうか?個人の自由まではく奪されるような結婚はまっぴらということでしょうか?(大砂)

 

 

 

「家族の崩壊」をめぐる長い歴史

 

 映画でみる「家庭の崩壊」には長い歴史がありますが、だいたいはある事件をきっかけに隠されていた家族の軋轢が表面化するパターンです。そう考えると、女性の自立をテーマにした正統派の作品はイプセンの「人形の家」(1879)かも知れません。

 

「家族」「崩壊」で検索すると右翼団体とカルト・グループのページが並んでいます。経済を一手に支える家父長、それに従う母親兼家政婦兼介護士という「家族」のスタイルを理想とするグループです。しかし、経済的にも社会的にも、こうした役割分担を基本においた「家族」を維持することは困難だと言って良いでしょう。なお、主張は、個人、自由、基本的人権などを認めるから、日本は堕落する、というもので、だから自由や人権を制約する憲法に改正しよう、というところに集約されています。

 

 

 

「家」か「個人の集合体」か

 

 今回の一連の動きのなかで、パートナーを求める人が増える一方、長いステイ・ホームにより世界的にDVや離婚が増加する傾向にあることも報道されています。実際のデータは不明ですが、「事件によって隠された軋轢が表面化する」というパターンだと思います。

 

 パートナー2名が個々に独立した経済主体であり、それを調整しながら同一空間で生活する。難しいようにみえて、世界では実践している「家族」も少なくありません。とはいえ、パートナーあるいは家族の形は個人の問題であり、ここに難しさがあります。この一連の混乱がいつ治まるか分かりませんが、誰もがこの問題に向き合わざるを得ないと思います。そうでないと、仕事もキャリアも考えられないのではありませんか。