20200714 熊井泰明・大砂雅子

 

ポテサラジジイにみる「なぜ日本の男は魅力がないのか」

 

 

 

 ポテサラ爺ってご存じですか?子連れのお母さんがスーパーでポテサラを買おうとしたら、おじいさんが、「母親なら、ポテトサラダくらい作ったらどうだ」と言ったということで、ネットで話題です。日本の高齢男性の思考停止状態が、子育て世代を苦しめているという実態が具体的に表れています。

 

https://news.yahoo.co.jp/byline/usuimafumi/20200709-00187372/

 

熊井先生は、それを客観的に、「きちんと言葉で説明しない。考えない」日本の男性を説明しています。(大砂)

 

 

 

 少々乱暴な話ですが、ご容赦下さい。今昔物語は初めの3分の2ほどは仏教説話ですが、残り3分の1の本朝世俗部が傑作ぞろいです。芥川龍之介が取り上げた「鼻」と「羅生門」は有名ですが、かの安倍晴明が酔わされて襲いかかられ、ついには怨霊となった女性に追われるというホラーものまで収められています。

 

 ところが、ここに登場する男たちが、晴明も含めて、全くだらしがない。恋焦がれた姫を忘れようと御虎子(おまる)を強奪したら中は美しくかぐわしい食べ物にすり替えられていて、「あ、この世の人ではない」とさらに恋心を募らせて死んでしまう、という話は有名ですが、女盗賊に招かれて暴力の限りを尽くされた上に手先にされ、最後は捨てられてしまう男、なんて話もあり、当時のスキャンダル大全の様相を呈しています。

 

 どうも日本の主人公たちは、光源氏のように眉目秀麗で文才がある佳人か、無頼の豪傑のようなタイプが占めているような気がします。有名人に口先男がいない。6人の奥さんを次々と変えるために死刑台に送り込んだ挙句、国教まで変えてしまったヘンリー八世のような徹底した悪役が見当たりません。何が違うのか考えて浮かんだ言葉が「コミュ力」。日本の主人公たちは戦略的に考え、ウソでも言葉で口説き落とすのが苦手。外交交渉でもやられっぱなしです。

 

 その理由は、おそらく、地縁社会のなかでは言葉や論理以上に「忖度」の技術がものを言ったためではないか、と思います。日本の恋愛劇は一目ぼれで悲劇に至る例が少なくありません。きちんと言葉で説明しないし、考えないから。それが平安時代から続いているとすれば、これは簡単には治りませんね。(熊井)