20200115 熊井泰明・大砂雅子

 

「地方の嫁不足」と「神社」の関係

 

 

 

 金沢に帰ってきて、露骨に若い女性に「なぜ結婚しないのか」聞いたことがあります。農家の嫁不足は、「(嫁は)自分でお金が自由に使えない」という明確な答えがでて、途上国からの嫁入りが失敗に終わって、もう結婚する男性自体が減少しています。そしていわゆる金沢を含む地方ですが、「漏れなく介護が付いてくる」「好きな人と結婚したのに相手の家族に入れられてしまった」。これらは、主に地方都市の女性の意見です。「いい男性がいない」(前回17日に配信)というのは、地方都市と都会双方の女性の意見です。若い女性とそれ以外の人の間に深い溝が発生しています。(大砂雅子)

 

いつから神社へ参拝する人はいっせいに「二拝二拍手(かしわで)一拝」をするようになったのでしょうか。拝殿の外で参拝する場合には、心がこもっており、禁忌事項さえ守れば合掌でも拝礼でも構わないというのが神社本庁の公式見解のようです。自分の考えや気持ちよりも、周囲を見回して「正しいマナー」に従う、というのは日本人らしいです。まず、神社は地域共同体を護るための存在です。初詣で神田明神に企業のトップが殺到するのは、ご利益のためではなく、大手町の担当が神田明神だからです。

 

 ついでに神様は基本的に何かしてくれる存在ではありません。基本は個人の想いや努力で、これを邪魔するものを排除してくれます。縁結びの神様は、相手を紹介してくれるわけではなく、邪魔するものを退治してくれることになっています。神木やご神体の山はその存在が自分を守ってくれているという意識を高めてくれるのだと思います。

 

 神道では人が死ぬとどうなるでしょうか。天国や地獄には行かず、その家に留まることになっています。墓は奥津城と呼ばれ、そこに納骨します。しかし、魂はその家に留まって、ここが重要なのですが、家族という共同体を護ることになります。地方に行くと正月に家族のみならず親族一同も集まって大変な騒ぎになることがあります。実はこの場には先祖代々の魂も列席しており、今年もよろしく、という挨拶を交わすわけです。もちろん、あのいやな叔父さん達や口うるさいだけの叔母さん達も含まれます。

 

 最近ではいろいろな形が出来ましたが、結婚式が神社で行われるのは同じルーツの理由からです。結婚が個人と個人の結びつきではなく、女性がこれまでの人生を絶って新たな家族という共同体に加わる儀式だからです。そこでは「妻」や「母」、さらには家事労働から家計のための労働まで、共同体を維持存続させるためのあらゆる役割期待が殺到します。白無垢の婚姻衣装など個人としての存在を棄てさせるあらゆる道具立てのなかで、共同体構成員としての役割だけが許されることになります。

 

 原始的な神道がいつからそのように変わったのかは分かりません。米作や貧富の差が発生した縄文時代からだとすると、これはなかなか厄介な話です。なにしろ1万年以上かけてこうしたDNAが私たちに刷り込まれたことになるからです。

 

 日本の伝統だ、歴史だ、と言っても、その不合理さを知る必要があります。そうしないと、女性はいつまでもこの国を支配する共同体の論理から解放されません。(熊井泰明)