20210330 大砂雅子

「女性と言うにはあまりにお年」-そんなつまらない価値観に縛られてきたのか?-

 

「男性というにはあまりにお年」の森喜朗氏がまた言ってくれました「女性と言うにはあまりにもお年」だそうです。男が男でなくなる年齢っていくつからなのでしょうか?多分、森氏もその年齢を優に超えているでしょう。もう人前でしゃべるのは止めてください。

かつて、石原慎太郎都知事が「女性が生殖能力を失っても生きているのは無駄で罪」と発言した際に国内では騒ぎとなりましたが、20年も経過すると諸外国が黙ってはいません。今なら都知事辞任に追い込まれるかもしれません。

 昨日の中日新聞に一升きよみさんの投稿がありました。彼女は46年前金沢市議会に出たとき、保育所問題や、乳幼児健診問題を取り上げ発言したら、男性議員から「いつまで、女や子供の問題をしゃべっている」と叱責され、発言を制止されたとのこと。そして今回の市議会での女性正副議長就任に期待すると結んでいます。

 これらの男性の共通する職業は、政治家です。こんな男性たちに大切な政治を任せてきたのでしょうか。女性蔑視が根底にあり、男性のみの同質的合意形成の政治の場所で、女性や子供のことは、二の次だったのでしょう。民度の低い地方議会の事例は数多くあります。多様な意見をよしとしない、結論が決まっている政治が長く行われてきたのです。

 「女、子供の問題」と言い捨てるのは、日本型のモノづくり中心の男性が働く社会が長く続くという前提だったのでしょうが、すでにサービス産業の比率が8割となり、女性、若者、外国人が働く時代にそぐわないことは自明です。たぶん、「男性と言うにはあまりにお年の方々」には理解不能なのだと思います。

 

 女、子供を大切にしないと、日本の将来はないのです。少子高齢化の加速は、子育てや介護を女性に押し付けてきた付けが回ってきているといえます。性別による役割分担意識の改革と、政治も企業の場でも、長時間拘束される働き方を変えなければいけません。