20190622 熊井泰明

 

「妻のトリセツ」に関する男の言い分とは?

 

 

 

 確か1998年頃だったと思うのですが、「話を聞かない男、地図を読めない女」(バーバラ&アラン・ピーズ、主婦の友社)という本が世界的なベストセラーになりました。確か、男と女は遺伝子構造から違うから、なんてオチになっていたように記憶しています。染色体構造が違うのは常識ですから、これ自体別に問題はありません。しかし、脳科学者によると、男女の脳には確かに構造的な違いが認められるそうですが、それが行動や考え方の違いと関連付けて確認された例はないとのこと。いわゆる「ファインマン・パラドクス」の変形なのでしょう。血液型と性格を結び付ける日韓だけの「常識」と同じです。

 

 確かに似て非なる生きもの、というお話は面白い。しかし、「違う」が先に立ってしまうとおかしなことになりませんか。その昔、「私、作る人。僕、食べる人」というカレーのCMが批判を浴びたことがあります。あるいは、「女は子供を産む機械」とまで言った政治家もいます。そういう発言を肯定してしまう愚かさを、この本は言い立てているとしか思えません。それは結局「LGBTは生産性がない」「人間のなかには不良品がいる」というような昨今の堂々たる発言にもつながっているように思います。

 

 確かに、日本の男たちの中には、それが同性に対してであっても「話を聞かない」連中が多数います。でも、それは歴史的、社会的、経済的あるいは総合的に文化的なねじれの結果であって、そもそもお互いが全く異なる生きものだから、ということにはならないと思います。「おまえは若いから」「お前は関西人だから」「おまえは肥満だから」…なんでもまかり通ってしまう。それは各国で移民に対する迫害が頻発していることとも一脈通じると思います。

 

 ある人が「米国では黒人が同じ人間であることが許せずに人種差別が認識された。でも欧州では、あれは別の生きものだという人種区別があるように感じる」と書いていたことがあります。EUがそれを壊しにかかったかと思ったら、ドナルド・トランプの登場以来、世界は寛容から非寛容へと大きく舵を切りました。ただ、それは極めて経済的な理由からだと思います。ましてや同じ社会に生きる異なる性が「あれは基本的に違う生きものだから」と言ってしまったら、現状を固定してしまうのではないでしょうか。

 

 ピーズ氏がこの話を書いてから20年が経過しました。日本もようやくその段階なのかも知れません。男も変わらないと、明日はありませんよ。

 

 

 

「僕がカギなら、女房はカギ穴です」 永六輔 (ラジオ番組で)