20190607 熊井泰明

 

男と女の分業体制はいつから出来たのか

 

 

 

 男は戦争(近現代においては会社)、女は家を守る、という分業体制は、いつから日本に根付いたのでしょうか。日本史は専門ではないので、多少乱暴な議論ですがご容赦下さい。誤りの指摘は大歓迎です。

 

奈良時代には防人(さきもり)という制度がありましたが、記録ではたかだか東国から2千人程度が動員されたに過ぎない。平安時代は、まあガードマンか山賊、海賊の類でしょう。その後、源氏と平氏の争いになりますが、日本全体でみるとまだまだ一部の階層の争いに過ぎないような気がします。ところが、鎌倉も終わり、室町時代になると少々変化が出てきます。

 

 昨年、硬派の歴史書としては異例のベストセラーになった「応仁の乱」という本があります。これを読んでいると、この時代にかけて「誰でも武士」「なんちゃって武士」が大量に発生しているような印象を受けます。多分、刀をはじめとする最新兵器が大量生産されたことなども、背景にはあるかも知れません。こうなると、家庭内分業が意味を持ち始める。

 

 それでも、ここから戦国時代を経て江戸時代に入っても、社会的な分業はそのままですね。生産を行うもの、サービスに携わる者、そして武力を行使する者。これが社会的役割分業を実践していたように思います。江戸時代の話をみると、農村や商家では、あまり男女の分業体制は見られないでしょう。跡継ぎを作らなければ、という将軍家の脅迫観念も、家庭内分業という形にはなっていません。私たちは現代で創作された時代劇をみているから、あたかもサラリーマン家庭のような武士を見ていますが、実はそんなことはない。

 

 ところが、明治時代になると日本がグローバル化のなかで変わってくる。戦時体制に順応して富国強兵に走るには、それを支える社会体制を作らなければならない。そうなれば、男は仕事という戦場に、女は家庭という銃後に、という体制が意味を持ち始める。日本が大陸進出など、遅まきながら植民地主義に参加すると、武力が支えですから家庭内分業はかなり決定的になってくる。それが合理的というものです。そして、戦争の時代を経て、敗戦からの復興期になっても、在戦場意識や軍隊を規範とした組織は変わらず、今に至っている。

 

 つまり、「男は外、女は内」という考え方が規範として定着したのは、たかが150年にすぎません。日本は75年かけて近代化し戦争に至った。敗戦から75年かけて一応復興は遂げた。つまり日本の伝統、と称されるイエ制度、「男は仕事、女は家庭」という考えが定着したのは、たかだか150年。

 

 私たちはもう一度冷静に歴史を振り返る必要があるように思います。そして、現在の数々の悪癖が生まれたのは150年前の明治維新か、野口悠紀雄氏が指摘するように戦時体制を作った1940年以降ではないかとも思います。

 

 

 

熊井泰明