妻との出会いはモンゴルの草原でした

―そして金沢市長選に出るって?!

 

妻と出会った当時私はフリーランスのデザイナーの仕事をしていましたが、たまたま取れた休暇でこれまで行ったことのない国へ友人たちを誘って行くことにしました。そこで友人が国際協力事業団(JICA)の仕事でウランバートルに住んでいる。現地で案内やコーディネイトしてくれる。そこで企画は「草原で馬に乗り、遊牧民のパオに泊まる」という魅力的な計画が立ち上がりました。妻と出会ったのがモンゴルというのもなかなか稀なケースではないかと思います。その後、彼女が任務を終了し帰国することとなり東京での再会がきっかけで結婚することになりました。

 

妻はその後も勉強を続け、出産後も海外で環境問題に関わる仕事をするためにタイ、バンコクに幼い娘二人を連れ赴任しました。当時私は東京で企画会社を経営しておりコンサルティングの仕事があった関係で毎月東京とバンコクを往復するという2拠点生活をすることになり、その生活はその後5年間続くこととなりました。妻がバンコクで仕事と育児を一人で担う大変さを少しでも減らす目的で通い始めたものの、実際はあまり役に立つということはなかった印象です。毎月の往復は金銭的にも体力的にも大変な面もありましたが、タイの様々な地を旅行し楽しい家族の思い出をたくさん作ることが出来ました。遠い海外で家族が離れて生活していても娘2人の成長を妻と一緒に見守ること、同じ時間を共有すること、同じものを一緒に食べることの幸せを実感しました。

 

バンコクの生活にも慣れだした頃、月の三分の一をバンコクで過ごすなら様々な企業でセミナーを行っている経験を活かし日本の組織運営論やマネジメントをタイ国で伝えることが出来ないか考え始めました。タイミングというものは不思議なもので契約していたセミナー会社の社長が海外での事業展開を模索しているという話から「日本のマネジメントを世界に広げる」という目的で一緒に拠点をバンコクに作ろうという話が持ち上がり法人化しました。タイ国へ進出している日本企業への指導だけでなく現地のタイ人講師を育てながら体制を整え事業の立ち上げから運用までおこない充実した時間を過ごしました。

 

その後妻は任期を満了し日本へ帰国となったわけですが、その時私は岐阜県で新しい仕事をスタートしており、そちらで生活をするものだと思いこんでいたら、なんと妻の生まれ育った金沢市で生活したいとの申し出!一瞬「まじですか!」と思ったもののよく話を聞いてみると金沢でやりたい仕事がある、それが国連大学の機関で唯一地方に拠点のある地元金沢にあるとのこと。その気持は大切にしたいと思い、またも2拠点生活がスタートしました。タイ赴任の時は月1回でしたが、今は毎週末に金沢と岐阜の往復生活です。週末の金沢では掃除や洗濯、家族の運転手などはやれることは積極的にやっていますが、残念ながら料理が下手でなかなか妻の支えにはなっていないかもしれません。料理が上手くなることが目下の目標です。

 

バンコクで事業を立ち上げたきっかけもそうでしたが、帰国をしても妻の影響を受け続けている私です。国連が提唱しているSDGsという持続可能な社会を作るという話を何度も耳にすることでファッションの世界でもサステナブルな方向で取り組むべき仕事がないかを考え始めました。そしてその一つの答えとして2年半前に「洋服を長く愛着を持って着続けるためのアフターサービス」を行うベンチャー企業を立ち上げることになり現在も順調に成長しています。

 

我が家は常に妻が中心となって動く家庭です。夫の私はその環境に合わせて仕事を組み立てるというのがパターンです。でもどちらかが仕事を妥協するのではなくお互いの個性やスキルを生かしたやりがいのある仕事を持ちバランスさせるために工夫していく家庭です。2拠点生活は寂しいことがないといえば嘘になりますが、お互いが充実した仕事をすることで尊重しあうこと、刺激しあえること、助け合えることが私達ファミリーのスタイルなのです。

 

(写真は、タイのビーチ、家族で)

 

永井正継(ながい まさつぐ)