―ガネーシャの憂鬱― 20190626

 

「劣等処遇の原則」見直しの理由

 

 

 

 社会福祉士試験などには出題される概念だそうです。1834年、ウィリアム4世のイギリスで救貧法改正が行われました。その中にこの原則があります。ポイントは二つあり、一つは、「救済を受ける貧困者の地位は労働して賃金を得ている最下級労働者以下でなければならない」、二つ目は「労働能力のある貧民の救済は、独立自立している労働者の最低階層の労働・生活状態より実質・外見ともに低いものでなければならない」とするものです。

 

 どうです、どこかで聞いたことがありませんか。185年を経て、日本でこの言葉が復活しつつあります。あまり注目されていませんが、521日の参議院・文教科学委員会で、厚労官僚が「生活保護での大学等への進学は認められない」という答弁を行いました。理由は、生活保護法の「最低限度の生活」が大学進学を含まないからだそうです。

 

 実は、1970年までは、生活保護家庭の高校進学も認められていませんでした。少しは改善の方向に向かったかと思いましたが、最近ではこの劣等処遇があちこちに顔を出しています。例えば、2013年、2018年の改正生活保護法において、生活保護の対象者は後発医薬品の使用が「原則」となりました。

 

 そろそろお分かりになったかと思いますが、「お金がないなら、分をわきまえろ」ということで、多分、今の日本なら「そのとおり」という声が殺到する可能性があります。また、今後、長期にわたって生活保護対象者は増えざるを得ないでしょう。特に、年金が十分でない高齢者、失われた世代、さらにその次の世代(貧困は遺伝する)に至るまで、ひとつ間違えば膨大な数の潜在的な生活保護対象者が顕在化する可能性があります。

 

しかし、185年前の原則を今の日本に適用することの是非を、もう一度見直す必要があると考えるべきではないでしょうか。生活保護とは、一定の人々を囲い込むことではありません。自立できるための土台を作ることです。そうでなければ、生活保護費は限りなく膨らんで行きます。そのためには、次の世代の可能性を広げる必要があります。つまり、教育はひとつの大きなカギなのです。

 

ところが、2018年、OECD加盟国34か国のなかで、教育支出に対する公的支出の割合は日本が2.9%で最低です(平均4.2%)。教育予算は次々と削られ、奨学金という名の教育ローンに頼った大学卒業生は、数十年かけてこれを返済しなければなりません。

 

 「女性だから」という理由で、これまで多くの才能が埋もれてしまいました。親に経済的余裕がないから、ということで国から見捨てられ、劣等処遇される子供たちを放置して良いのでしょうか。

 

 

 

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