―ガネーシャの憂鬱― 20190612

 

消え去るべきものの延命に走る国の行く末は

 

 

 

 その昔、まだ乃木坂に人がまばらだった時代、現在のバーニーズNYのちょっと先にルキノというバーがあり、良く使っていました。映画が好きな方なら名前から察するかも知れませんが、ルキノ・ビスコンティ監督の世界をイメージした作りで、ガラスを十数枚重ねた大きなテーブルが印象的な店でした。

 

 ビスコンティ、小津、黒沢、イーストウッド…これらの監督の作品に共通するのは、時代の変化のなかで消え去るべきものを、情感豊かに描いたことだと思います。これからご覧になる方がいるかも知れないので、ネタバレは遠慮させて頂きますが、例えば西部劇の人気は、西部開拓や人による牛の移動がもはや限界に達し、消えていこうとする時代背景を抜きには語れません。同じことは、かつての東映任侠映画にも言えます。消え去るものは美しい、というよりも、美しく退場しなければならない。

 

 そんなことを考えたのは、時代が大きく変化しているのに、過去の成功にしがみつこうとするこの国の在り方が気になるからです。成功者は謙虚に過去を捨てなければいけません。かつてこの国はナンバーワンと言われるまでに繁栄を謳歌したことがあります。しかし、それは人口が増え、世界が必要とするモノを創り出せたからでした。しかし、人口は極端に減少傾向を続け、世界はモノではなくコトを求めている。それをうまく受け止めたのがGAFAの世界でしょう。いまや世界の家電製品の8割は中国製と言われています。そんな世界で製品では勝負できない。ウォークマンやハンディカムといった画期的な製品を生み出してきたソニーも、いまや稼ぎ頭は金融サービスです。

 

 こういう世界では、多様で創造的な人材を大切にしなければいけません。ところが、この国は未だに軍隊をモデルにした会社組織を良しとする例が多い。異質を排し、命令のもと全体が同じ顔で同じ方向に動こうとする。その結果が、誰も幸せではない働き方のような気がします。問題は時間ではなく、滅ぶべきものを生き延びさせようとする社会ではないでしょうか。「老兵は死なず、ただ去り行くのみ」どころか、晩節を汚す男ばかりが目につきますし、なお悪いことにはこれに追随する男たちが、この国の息の根をゆっくりと止めようとしているように思います。

 

 GEの黄金期を築いたJ.ウェルチは、“Control yourself, or someone else will”(自分の運命は自分で決めろ、さもなければ他人があなたの人生を操ることになる)という言葉を残しました。過去を捨てなければ、この国には悲劇しか待っていないように感じます。日本人が有頂天になるきっかけになった「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の原題には、最後に大きなクエスチョンマークがついていたことをご存知でしょうか。

 

 乃木坂もすっかり変わり、ルキノはもう存在しません。

 

 

 

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